額縁寺(丁寧寺)のぐす玉

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2007年03月10日 22:56













去年の11月頃、額縁寺をゆっくり散策していると、


ぐす玉を見つけました。


ぐす玉は、瑠璃色の綺麗な実の事です。


私は小さな頃、よくこの実で遊びました。


大概はおままごとに使ってました。


男の子達は鉄砲の玉などにしていました。


当たると痛かった(*_*)。


このぐす玉は、丹後地方だけの呼び名なのかなあ?


ぐす玉を見つけ、懐かしく、綺麗だな〜と
このぐす玉を写メールしてると、


優しい笑顔のおじいさんが話かけてこられた。


「何かいいものあるんかな?」

私はぐす玉の事を話した。


するとおじいさんも「そういえば、家にもたくさんあり、子供時、よく遊んだわ〜」


そのおじいさんと私はしばらく、楽しく話をした。


全く知らない方だけれど、今日はご先祖様のお墓参りに来られたそう。


そして、ぐす玉のたくさんあった家は、昔、京都の烏丸通りにあったそうで、今、市内からかなり離れて暮らしていると。


おじいさんは懐かしそうに、また話だされた。


「そのぐす玉がたくさんあった家は、私のおじいさんがご服やさんをしていてな、
まあ、よう繁盛してたんや。
そしてな、その店には、よう新撰組がきてな、私のおじいさんは、嫌がってたんや。


私「へえ〜、あの新撰組ですか?なんで、嫌ってはったんですか?」


おじいさん「そうや〜!あの新撰組や〜。」
「新撰組は、来てはいっつも、いっつも寄付してくれゆうたみたいや。
私はおじいさんから、いっつも、新撰組は、ほんまかなんって聞かされてたんやよ。」


そういうとおじいさんは大きな声で笑わはった。


「あはははっ(*^o^*)」


「いやいや、とお〜いとお〜い昔の話、貴方にはわからん話を失礼しましたな。


墓参りにきて、なんとも懐かしい気持になりました。
自分が小さな子供の頃を思いよらず、思い出しました。
ありがとうございました。」と
丁寧に笑顔で言われて、被っていたベレー帽子を脱ぎ、私にお礼をされた。


その姿がなんと素敵だったこと!


なんて、なんて、優雅なたちふるまいをされるおじいさんなんだろうと、私は思いました。

そして、私もお礼をしました。


「では、失礼します」おじいさんはそう言われて、帰ってゆかれました。


去年の秋、暖かい小春日和の日でした。


その後、京都市内で偶然にも、「阪本龍馬災難遭遇場」の石碑を見つけた時、


あの丁寧寺で出会った、紳士なおじいさんの高らかな笑い声と、ベレー帽を思い出した。

歴史は時代は、絶え間なく動いているんだな〜。

なんだか、不思議な気持になりました。



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